小話
変わりゆく物語
二十数年前、この話の原案は実際の歴史を下敷きにしたものだったが、非常に暗い話で進展性に乏しかった。茶々様は母親の身代わりに豊臣秀吉の側室となり、否応なく不幸な歴史に巻き込まれていったか弱い姫様であり、石田三成は彼女を愛し愛されながらも救うことのできなかった悲しい騎士であった。それは歴史的事実から推測したものでもあるが、当時の私の心も暗く暗澹たる荒涼とした世界だったからでもある。いつも頭の隅にはありながら放っておいた物語なのであるが、二年くらい前に不意に書いてみよう思い筆を取った。
しかしなんと言っても二十数年前の歴史観を反映したものなので、今では三成と茶々様を恋人同士に見做すことは古いらしい。それどころか今の歴史研究を支持する人たちからすれば邪道と言われかねない。それならばいっそパラレル歴史にしてしまえというのは、2次創作で既にパラレル手法を使っていたからであるが、そうなると今度は物語の色調も明るくさわやかなものでなければならないとして、三成と茶々様の助っ人を入れることにした。それが於次秀勝なのだ。秀勝は織田信長の四男で豊臣秀吉の養子の1人だったが史実では若くして亡くなった。しかしながらこの秀勝が生き永らえて、茶々様が秀吉の側室にならなかったなら歴史は変わったかもしれない…と私は考えた。秀勝の母は法名しか伝わらず不明であるから、いっそ信長の正室濃姫(斎藤帰蝶)の一粒種にしたら権威と迫力もつくというもの。こうして本作は軌道に乗り始めたのである。
最近分かってきたことであるが、大河ドラマなどで決まって秀吉が信長の妹であるお市の方に惚れる話は、どうも創作である可能性があるらしい。お市の方に本当に惚れていたのは柴田勝家の方だ。清洲会議において秀吉は勝家に対しお市の方との結婚を斡旋しているのだ。あれほど恋焦がれ執着していた女性なのにである。まあ一時だけ勝家に貸してもいいかみたいに思ったのかもしれないが…しかしそうだとしても秀吉は正妻のおねを追い落としてまでお市の方と結婚したかったかと言えばそうではないだろう。たしかに秀吉は信長の死後、織田家の血脈というものに執着していたようだが、それは秀吉自身が相当な低い身分の出身だったからではないだろうか。本作では身分の卑しさから相手にもしてくれないお市の方より、身分のいやしき頃から「藤吉郎殿」「秀吉殿」と呼んで庇ってくれた濃姫の優しさに崇拝している。秀勝は織田信長の子だから尊貴なのはもちろん濃姫の血を引いているからこそさらに秀吉にとっては二重に尊いのである。
この秀勝が秀吉の後継者であれば豊臣政権は安泰である。いや一部の秀吉の血縁者は再び織田家に天下が渡るような錯覚を起こすかもしれない。そうすれば秀吉の没後やっぱり関ヶ原もどきが起こるだろう。かと言って既に関白の座に君臨する秀勝や秀勝の側近でもある石田三成や大谷吉継が決起して関ヶ原が起こるわけではない。史実では三成ら文治派に不満のある武断派諸将が政権の中枢に座ろうとクーデターを起こし、三成を隠居に追いやるが、この諸将の皆さんこそ豊臣の血にこだわる一部の秀吉の血縁者である。彼らは真に豊臣の血を引く秀吉の甥秀次とも親しかった。秀勝政権となれば秀次もこの諸将の皆さんも将来が暗くなる。そこで彼らが頼るのはやはり徳川家康の他に置いてないだろう。
だが、家康からすれば良い迷惑である。幼児の秀頼と違って関白秀勝は三十になるかならないかの良い大人で、しかも関白に楯突くのは賊軍の汚名を着ることだ。秀勝がいる限り三成らが表に出てくることはない。思い出してほしいのは、秀吉が関白になった時家康は戦では秀吉に勝利したものの服属せざるを得なかったことだ。それくらい当時においてなお官軍と賊軍の差はあった。あとは家康自身、信長を大変尊敬していたというのが最近の新説である。そんな家康なら信長と濃姫の秘蔵っ子である秀勝を相手に戦うのは心苦しい。これら主に二つの理由で家康は本気で戦おうとしないだろう。要するに史実では三成🆚家康の関ヶ原であったものが本作では、養子同士の秀勝🆚秀次の関ヶ原になるのである。
誕生秘話
詳しくは述べませんが著者の学生時代は自他双方に非があり散々なものでした。そんな私ですが歴史の教科だけは得意でそこに登場する歴史上の人物に関心がありました。今思えばそこに登場する人物に自分の心情を重ね仲間意識があったのだと思います。その中で私のお気に入りは『戦国のlloveyou』の主人公である石田三成でした。処刑前に三成が言い放った「大きな志を抱くものはかんたんに死んだりはしない」という言葉はその後の私の人生を支えてくれた言葉です。そしてこの作品の大きなテーマになったように思います。
最近は石田三成を扱っている作品は架空の女忍者・初芽や正室のうた(本名は不詳だと思います)をヒロインとして扱う事例が多く、私のおすすめの茶々様説はあまり日の目は見ないのですが、なんだかんだで世間に誤解され嫌われる傾向があった石田三成と茶々様は共通点が多いように私は思います。この作品はそんな彼らの鎮魂歌として当初は立案しましたが、そこから約30年の月日が流れた今、どうせならいっそ三成と茶々様結ばれていたらどうなっていただろう…ということに興味が湧き、その仲人役に織田信長の四男で秀吉の養子になった於次秀勝を配し、三成の生涯の盟友大谷吉継の視点も加え壮大な歴史創作に挑んでみようと思った次第であります。
構想から四半世紀以上が過ぎた作品ではありますが最後までお付き合い頂けると嬉しいです。